このWEBコラムでは、蛇にまつわる日本の昔話を「トークノベル形式のものがたり」でお届けしています。人物の挿絵や状況描写イラストはイメージです。また、登場人物の台詞を現代的な言葉遣いに変更したり、制作者の解釈で付け足したりして再話しています。元のお話の意図を失わないよう意識しながらの制作に努めていますが、そういった営為は「解釈」ぬきには行えないことをご了承ください。利用した出典は明記しておりますので、気になる方はご活用ください。
※このコンテンツは、イラストや動画や、動くエフェクトが使用されています。通信環境の良いところでご覧になられることをおすすめいたします。また、アニメーションの影響で、まれにめまいを覚えられる方や気分が悪くなられる方もいらっしゃいます。体の異変を感じた場合にはすぐ視聴を休止し、安静になさってください。
はじまり、はじまり…
「大蛇クチフラチャー退治」物語
喜瀬武原へ行く道の途中に、双樹と呼ばれているところがあります。
そこの近くの三叉路には、昔、双樹の「クチフラチャー」と呼ばれていた大蛇がいたんだそうです。
それの口は、恩納村の安富祖と名嘉真の方へ向かっていました。
尾は金武の岬まであって、そして、とても大きな口を開けて、
安富祖喰うぞー
名嘉真喰うぞー
と言って、安富の村と名嘉真の村の方へ顔を向けて吠えていたそうです。
けれど、そのせいか安富祖と名嘉真は、毎年毎年米を作ってもまた芋を植えてもまったく不作だったそうな。
しかし、このクチフラチャーの尾が向かっている金武の村では、毎年とても豊作で、村人はみな喜んでいたそうです。
そうして毎年毎年、あんまり不作なものです、安富祖の人たちと名嘉真の人たちは集まって話し合いをしました。
…どうしてあんなに不作なんだろう…
そうして安富祖と名嘉真の人たちが考えた末、まとまった話しは…
そりゃきっと、あのクチフラチャーが「安富祖喰うぞ」「名嘉真喰うぞ」って泣いてるからに違いねぇ!
…というものでした。
クチフラチャーを殺そう!
それを聞いた金武の人たちはとても反対しました。
けれど、安富祖の男たちと名嘉真の男たちは聞きません。そうして、安富祖と名嘉真の男たちは毎日…
クチフラチャーを殺しに行くぞ!
…と、傍まで行きました。しかし、
喰うぞー 喰うぞー
…うううう、今にも喰われちまいそうだ…
と、怖ろしくて逃げてしまう、そんなことを繰り返していたようでした。
その話を聞いた、金武に暮らす青年がいました。
怖ろしくて近寄れないってことか
…ということは、遠くから攻撃できればいいんだな
そうして、青年は一人で一人でクチフラチャーを射止めに行きました。
青年が、弓矢をクチフラチャーの喉めがけて飛ばすと――
――矢は、まっすぐ喉にあたって、血がだらだらと落ちたそうです。
そうしてクチフラチャーは死にました。
クチフラチャーの口は大きく空いて、それの歯は牙みたいに四つあったそうですが、これも今は欠けてしまって背中には木が生えて、あっちにまがりこっちに曲がりしながら、尾は金武の岬までつながっているそうです。
おしまい、おしまい。
アンケート
(2023.1.7に変更)
●前の回答を見る→他の方の回答を閲覧することができます。
●回答を編集する→回答の訂正ができます。
※このアンケートに回答するのみで、回答者様の位置情報やメールアドレスが判明することはありません。(→プライバシーポリシー)
補足や資料
元の採集場所や文献 | 〇伝承地 沖縄県国頭郡金武町金武 「沖縄の昔話」 |
制作者が参考にした文献 | 日本伝説体系15巻pp.361-362 |