夜明け

「もし、私が今日死んで、飲みかけのカップを部屋で見つけても『かわいそうに』『まさか今日死ぬとは思わなかっただろう』という方向には憐れまないでほしい。」

 

・・・ブログ記事にもありますが、保護していた猫3匹のうち、一匹が死亡しました。衰弱のようです。体温も低く、食欲もありませんでした。回復するよう見えましたが、かなわずでした。

 

先日、一度お客様になってくださった方の訃報を聞いたこともあり、こんな聖句がアタマをよぎっています。

 

「天の下では、何事にも定まった時があり、すべての営みには時がある。

 

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

 

殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

 

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

 

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

 

捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

 

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

 

愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

 

働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

 

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神に行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。』(伝道者の書3章1節~11節)

 

「もっと何かしてやれたんじゃないか」「あのときもっとああしていれば」など、とりとめのないことが頭をよぎります。しかし、その無力感はある意味で思い上がりなのだと、私たちには命の差配をする力は与えられていないのだと、そう感じる自分も確かにいます。

 

今でも、特に健康関連の話などをしていると、「自分で自分の寿命をのばそうとする愚かしい思い」が芽をだしてくることがあります。しかし、やはり最後に行きつくのは「私たちは自力では髪の毛一本も白くも黒くもできない存在」だということを忘れてはならない気がする、ということです。

 

人間の心臓は、1分間に約5リットル血液を送り出します。一日でペットボトル1万5000本分もの量です。こんな働きをしているにもかかわらず、心臓は250グラムー300グラムほどしかない軽い臓器です。

 

1秒間では約400ミリリットルといって、大した量ではないように思われますが、これ送り出している心臓の出口は約2.5センチ(およそ500円玉分)しかありません。とてつもない激流です。

 

そのため、一定方向にのみスムーズに流れるように弁がついています。この弁はだいたい0.3ミリ以下ですが、とても大きな役割を果たしているそうです。

 

そして、心臓にはリズムを司る電気刺激が流れています。心房のレベルで0.04秒、心室のレベルで0.06秒で刺激が伝わります。これは一気に動くことによってすさまじいパワーが得られているのですが、実際この心房と心室が一緒に収縮してしまうのは実はとても効率が悪いそうです。

 

けれど、本当に絶妙なことに、その中継地点にはなんと「0.1秒の遅れ」を持たせる組織が、人間には必ず備わっているとのこと。(参考:『今中和人博士が「心臓外科医が語る驚異の人体」と題して講演』)

 

こんな果てしないものを知らず知らずに抱えて、私たちは生きているのです。こんなものを与えられて生きていると知った時、

私はその深遠さにめまいすら覚えました。

 

私は、自分が死ぬときのことを、たまに考えます。こういうのをメメント・モリというのだと思っています。「もし、私が今日死んで、飲みかけのカップを部屋で見つけても『かわいそうに』『まさか今日死ぬとは思わなかっただろう』という方向には憐れまないでほしい。」このセリフは、私が毎年更新している遺書に必ず入れているフレーズです。

 

いざ自分に死が迫ってきたら、私はこんな覚悟も虚しく、もっと生きることにしがみつくかもしれません。でも、でも、こんな果てしないものを与えられてこの世に生まれた私は、きっと偶然生まれたんじゃない。偶然生まれたんじゃないから、死のタイミングすらも、きっと然るべき時に与えられるんだ、と、そう信じる者でありたいです。

 

。・。*このブログを書いたひと*。・。

kasugazigazousirofuku

【森かすが】1989年、徳島県の小さなお寺の末娘として生まれる。幼いころよりアトピー性皮膚炎に悩んでいたせいか、民間療法や美容情報に目がない健康・美容マニア。

マンガ家を目指し芸術大学に進学するが、在学中に導かれれキリスト教プロテスタントの道に入る。自分がマンガでまで表現したかったモヤモヤが解決され、残りの人生は「人によりそうようにして生きたい」と考え葬儀会社に就職。しかしアトピーの悪化や適応障害を発症、退職。

後にコーチングと出会い、自分の価値観が洗い出されていく衝撃的な感覚を経験。「私みたいに、心も体もボロボロでどうしようもない状態の人はたくさんいる。そういう人を癒して勇気づける仕事がしたい!」という想いから、リラクゼーションとコーチングが受けられるサロン【やどり木】を始動させる。人生の野望は「100人くらいの人から『かすがばーちゃん』と呼ばれて仲良くしてもらう」こと。

もっと詳しく知りたい方はコチラ→森かすが自己紹介ストーリー

リラクゼーションサロン【やどり木】とは?→HPはこちらから
【住所】徳島県名西郡石井町石井→アクセス
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