琉球国・沖縄の伝承を、市町村史から口承まで幅広く採集して再話されている作家・小原猛先生。(「おばら」とよく間違えられるそうですが、「コハラ」です、とYoutubeなどでよくおっしゃられているのを拝見しております)
個人的に尊敬している宗教研究者がいたく推しており『推しの推しなら…』と思って書籍を手に取ってみたのがきっかけですが、…おもしろい!
ということで、小原先生の書籍から、ライター個人的イチオシエピソードを紹介してみたいと思います。例によって「蛇」にまつわるお話の紹介となりますが、書籍はそれ以外のお話のほうが断然多いことはご理解の上お読みください。
イチオシ!蟹パレードの交通整理のために人語を話すハブ―「琉球怪談 七つ橋を渡って」より
ざっくりあらすじを説明すると…
「パレードがあるから、気をつけてくれ。轢いたりでもしたら、オオゴトだ」――
車の上に落ちて来て、男性の声でしゃべったハブ。
こんな夜更けに一体何がパレードするというのか、フシギに思う男性とその彼女。
しばらく車を走らせていると、眼前の道路を、月明りに照らされながらオオガニの集団が横切っていく…
(2012年,有限会社ボーダーインク,小原猛著「琉球怪談 七つ橋を渡って」75話『ハブが教えてくれたパレード』p.214~)
小原先生の書籍を何冊か読ませていただいた中で、このお話ダントツお気に入りとなりました。
(もちろん他のお話もとっても面白いのですが!)
なんでしょう…月明りの空気感と情景が頭に浮かんでくるような感じがして、めちゃくちゃ好きです。もし私が学生時代にこのお話を知っていたら、これを選んで読書感想画を描いたんじゃないかな…と思います。
ぜひ小原先生の文章でご堪能ください。
書いていて思い出したのですが、私が幼少期愛読していた(正確には母親から読み聞かせてもらっていた)絵本が「蟹報恩譚(蟹満寺縁起)」と呼ばれる蟹の恩返しによる蛇退治のお話があります。
じっさい私がこのウェブサイトを作るまで知っていた「蛇にまつわる日本の昔話」というと、ソレしかありませんでした。
ですから、イメージとして「蟹」と「蛇」が同じ画面に収まっているというのはとてもなじみがあり、なおかつ、本土の昔話では敵対して語られていた種族同士が現代のこの南の島では進行の交通整理をする仲…だと?
エ、エモ~!!
みたいな感覚が無意識的に沸いたんじゃないかな、と思いました。
現代奇譚で言うと田中康弘先生の「山怪」シリーズにも蛇への言及はありますが、
「大きな蛇を見た」ですとか「グウグウ鳴いていた」「ミソサザイのような声で鳴いていた」という話はあっても、
はっきり『人語をしゃべった』というのはなかったと思うので、
これはやっぱり沖縄の特色なのかなぁ…という気がしました。
しかしこのお話、どうも小原先生の実体験だったもよう…?(小原先生はなんだかんだ「不思議な力を持っている」方なんだなぁとお見受けしています。)「琉球トラウマナイト かんこどりのなく夜」―264話?だったかで聴きました。また話数が定かではないので、確認できたらまた修正します。ご存知の方いらしたらコメント欄で教えてくださると幸いです…!!
蛇婿譚の今日…?「いまでもグスクで踊っている」
「コレはキている…!」と思うお話が多くて小躍りしながら読みました。
民話「蛇婿入り」の今日とも感じられるお話から、琉装のメデューサが見えるお話、上半身が老人で下半身が蛇の使い魔と共に潜り抜ける戦時中の話、チンアナゴのような「何か」のお話…。うーん、盛りだくさんでした。
沖縄(奄美・琉球)に伝わる民話の蛇婿入りは、本土と違って蛇と人間が結ばれるお話も根強く残っている…と福田晃先生が熱弁している印象がありますが、とはいえ、それでもやはり主流は蛇と人間の婚姻が不成立のもので、浜下の由来として語られることが多いものだと認識しています。
そんな浜下の日に、浜下に行かずにビーチで遊ぼうとした女性の目の前に現れた赤い蛇…。
この女性の家の家紋は「蛇を食べる蛇」だそうですが、アカマタもまた蛇を食べる蛇だそうで。
蛇…それもアカマタと切っても切れない縁のある女性ということなのかもしれませんね。貴重な奇譚を聞かせて(読ませて)いただいて、本当に助かりました。(オタク文)
老男性の死を予告するが、振り込め詐欺から老夫婦を守った白蛇-「現代実話集 琉球怪談 闇と癒しの百物語」より
この書籍のp.218~p.225に渡って紹介している「カマドガマさん」というご夫妻のお話に、蛇(の化身?)が登場しました。
蛇はさいしょ旦那様の1年後の死を宣告したので、「まがまがしい存在なのではないか」と(読み手としては)疑いが拭えないまま読み進めましたが…
ご夫婦があわや振り込め詐欺に遭いそうになったときにまた現われて立ち止まるきっかけをくれたり、
旦那様は蛇の当初の予告より長生きして、結局カマドガマさんの奥様ご本人が蛇に感謝の念を抱いたことが描写されたりしたことから、最終的にはほっこりするお話しだと感じました。
カマドガマさんにとっては「神さまの使い」ということでした。
リアルな蛇だったのかどうかはわかりませんが、沖縄での蛇の受容のされ方の一端に触れられてよかったです。
小原先生のリサーチ曰く「生霊は蛇の形となってあらわれる」(ユタさん談?)という話もあるので、こういうタイプの現れ方をした蛇というと『誰かの生霊だった』という解釈も可能なのかもしれない…とも思いましたが、ご本人さまたちが神さまの遣いだとして解釈していらっしゃるのを外野がどうこう言うものでもないよな…と思います。どちらにせよ、こころ温まるお話しです。
トカラハブの復讐とヒルの誕生民話「沖縄怪異譚大全 いにしえからの都市伝説」
こちらは小原先生による、琉球の民話の再話集から。石垣島のヤサレー山(川原集落の北方にある水岳西側一体の呼び名)の近くのお話しを紹介します。
両親をのいない兄妹がいた。
しかしある日、妹が大人の人間ほど太いトカラハブに締めつけられ、血を吸われ、殺されてしまった。
たったひとりの肉親を目の前で殺された兄は、そのトカラハブを殺すことを心に決める。
兄は、腰に短刀をしのばせて妹の姿に扮し、妹が毎日通っていた道を歩き…
そうしてある日、目論見通り襲ってきたトカラハブを返り討ちにすることに成功し、復讐を遂げる。
殺されたトカラハブの血は濁流となって山を下り、ふもとの畑まで達した。
血の赤さは田んぼの赤いしみとなり、飛び散った肉片はその後人間の血を吸うヒルになったと伝えられている。
※出典「大浜の民話2」石垣市
(2021年,有限会社ボーダーインク小原猛著『沖縄怪異譚大全 いにしえからの都市伝説』pp.144-145 吸血トカラハブとの対決
おどろおどろしい存在として描かれているのが、一周回って新鮮な気がしました。
トカラハブとは…クサリヘビ科のヘビ。同科マムシ亜科ハブ属に含まれ、吐噶喇列島の小宝島と宝島にのみ分布する固有種。全長約1メートル。体色は一般に明るい褐色で、背中には小さな楕円形の斑紋が左右交互に並んでいる。(参考:出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
石垣島の「川原」で調べて出て来たバス停を中心に埋め込んでみました。水岳みじぃだき西側一体というのがどのへんに当たるのか、ライターにはわかっておりませんのでご参考までに…
続いて、「龍」が登場するお話ご紹介。
昔、宮古の来間島に住んでいた男性がいた。
なんでも、男性は「誰も見たことがない」とされる龍宮の神を一眼見ようとして目が見えなくなったというのである。
男性の話よると…
男性は、『龍宮の神』が地上へ上がるとされている場所で魚を釣りながらその時を待ち、ついに龍が現れるのを見る。 その龍は、「自分は龍宮の神の使いである」と言い、男性にそこを退くように要請する。
しかし男性が、それが『神ではなく神の使いである』と聞いて、あきらめずそこに居座り続ける。
つぎに、見たこともないような巨大なエイが現れて、男に同じようなことを言う。 しかし男はまだ譲らなかった。
しばらくすると稲光とともに、世にも美しい人魚が現れる。
人魚は「自分が龍宮の神である」とし、「あなたがそこに居ると、私は地上へあがれない」「私をその目で見た者は、目が見えなくなるぞ」と忠告する。
しかし男は、龍宮の神を見たことに満足し、「もう後悔はない」と言う。そうして男の目は見えなくなったのだという。
以来男は余生を後悔なく過ごした。彼にとって、龍宮の神をその目で見た事は無常の喜びだったという。男は視力を失ったが、鳥や風や大自然と会話するようになったのだと言う。
(※出典『下地町の民話』下地町教育委員会)
(参考:2021年,小原猛著「琉球怪異譚大全」p.184-185)
こちらは「龍」が龍宮の神ではなく「使い」であるのが興味深いなぁと思ってピックアップしました。沖縄の「千年蛇」のお話などによると、『蛇は千年生きると龍になることができる』らしいです。
神の使いのハブと、それを殺してしまった男性のお話-「琉球奇譚 シマクサラシの夜」より
農作業の帰り、家の石垣の上で見つけたハブをナタで殺した男性。
その夜の村の集会で、ユタのおばあにハブを殺したことを見透かされる。ユタ曰く、「それは神の化身だから、あんたは呪われる」と言う。
「ハブなんて、見つけたら誰でも殺してるだろう」と男性が反論すると、ユタは「それはふつうとは違うハブである」と言い、呪われない方法を教えてくれるが、それをしないと指先を失ってから死ぬと言う。
(それは『一週間以内に村のすべての御嶽を回って拝め』というものだった)
男性は「死ぬ」と断言されて腹をたてるが、帰ってそのことを妻に話すと「でももし本当に神様の使いだったら」と心配する。
次の日、男性が畑でナタを扱っていると…なんと親指を切断してしまう。急いで切り離された親指を探すものの見つからず、病院に駆け込んだが親指の再生は叶わなかった。
寝込んだ男性は、改めてユタからの警告を考える。
そして庭に出て、自分が殺したハブが這っていた石垣を見つめる。すると、石垣に穴が空いていることに気づき――
石垣を壊すと、中からハブの抜け殻と、卵が二つ現れ…そこにはなぜか男性の切断された親指があった。
男性は次の日、村内のすべての御嶽を参る。
男性は今でも生きているという。
(2018年,竹書房,小原猛著「シマクサラシの夜」p.120-123)
「神の使い」としてのハブ。アイヌの伝承にも「マムシの神には悪いモノもいるが、良い神もいる、無闇に殺してはならない」という伝承があったことを思いだしました。現実問題としてソレを見分けるのは難しそうだなぁ…と思いますし、毒を持った蛇なので退治しなくてはならない場面はあるでしょうが、退治したとしてその後の対処を間違えなければ大事には至らないのかな?うーん、どうなんでしょう…、
このお話を読んでから数日後、私は普段めったに見ない蛇の夢を見ました。(毒蛇が卵から孵化するので、それを枯葉のたくさん落ちた森に還す…という夢でした。夢の中で私は今にも孵りそうな毒蛇を恐れていました。)
夢の中の私はあの蛇をなんとなくマムシだと思っていたようですが、よく考えるとマムシは卵胎生であって卵生ではないので「あれはハブの卵だった」と思う事にしました。今思うと、この小原先生のお話のイメージを頭が整理しようとしたのかな…と思いました。私は卵から今にも孵りそうな毒蛇を見て畏怖を感じていましたが、舞台が私の故郷の大好きな里山だったので嬉しかったです(今はその土地に住んでいませんので懐かしかったのです)。
小原猛先生の書籍はまだまだあり、順番に読み進めております。またお気に入りが見つかったら追記していこうと思います。