常陸国風土記「夜刀神」伝承の舞台や研究・みんなの感想・考察

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このコラムでは、常陸国風土記「夜刀神」伝承に関する研究や考察などを紹介していきます。

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「夜刀の神」伝承舞台やゆかりの地

常陸国風土記 行方郡の段

古老曰 石村玉穂大八洲所馭天皇之世 有人 箭括氏麻多智 截自郡西谷之葦原墾闢新治田 此時 夜刀神 相群引率 悉盡到来 左右防障 勿令耕田 俗云 謂蛇為夜刀神 其形蛇身頭角 率引免難時 有見人者 破滅家門 子孫不継 凡此郡側郊原 甚多所住之 於是 麻多智 大起怒情 着被甲鎧之 自身執仗 打殺駈逐 乃至山口 標梲置境堀 告夜刀神云 自此以上 聴為神地 自此以下 須作人田 自今以後 吾為神祝 永代敬祭 冀勿祟勿恨 設社初祭者 即還 発耕田一十町餘 麻多智子孫 相承致祭 至今不絶

?其後 至難波長柄豐前大宮臨天皇之世 壬生連麿 初占其谷 令築池堤 時 夜刀神昇集池邊之椎株 経時不去 於是麿 挙聲大言 令修此池 要在活民 何神誰祇 不従風化 即令役民云 目見雑物 魚虫之類 無所憚懼 随盡打殺 言了応時 神蛇避隠 所謂其池 今號椎井池 池回椎株 清泉所出 取井名池 即 向香島陸之駅道也

(漢文体)

研究者各人による「夜刀の神伝承」のまとめ

風土記の文章とその読み下し文を読んだ時に、「なるほど、古い文章ってこういうものなのか…何が言いたいのか全くわからん」と途方にくれたことを覚えています。

この伝承から何を読み取ってほしいと書き手は思ったのか、何が読み取れるのか、というのは難しい問題だなとつくづく感じさせられました。

なので、研究者さん各人の読み方をいくつか調べてみることで、ようやく自分なりにコンテンツに落とし込むことができました。まずはそれらをちょっと紹介します。

古代の史料には、「現人神」(アキツミカミ)としての天皇がその権威でもって在地の神を屈服させるというエピソードが散見する。『常陸国風土記』(行方郡)では、そのすみかである谷の開発を妨害しようとした「夜刀の神」(蛇形の神)を、壬生連麿という人物が、天皇の「風化おもむけ」を名目に強制的に排除した話がみえる。[桜井1976]

佐藤弘夫「日本人と神」p.129
…と言いつつ大した資料が出せない…

時が満ちたらまた追記します…

…といったぐあいで、この「夜刀の神」というのは常陸国風土記のなかの一項目のお話に登場する存在であり、(現状では)他の文献には登場しない…という認識でOKなのだと思います。

インターネットで読める論文ではあんまり言及がなさそうな印象だったのですが、妖怪研究やそのほかの神話研究などの書籍を読んでいると、多くの研究者の興味をひいている存在であったことがわかってきました。

以下は、夜刀神伝承について、先人たちがどう読んだのかを少し紹介してみます。

「夜刀の神伝承」にまつわる研究や考察

それでは従来この説話はどのように解釈されてきたのであろうか、二、三みてみよう。
 武田祐吉氏(1)は、日本民族が蛇類を駆逐しつつ国土を開発していった縮図のあらわれであり、打殺し駆逐しながらも神として祭るところに古人の信仰が窺われるという。
 守屋俊彦氏(2)は、蛇神を農業神とみ、古き世には蛇神の地上への降臨を仰いだが、麻多智の時代、壬生連麿の時代をへて、古き神に対する人間の勝利をみる。
 西郷信綱氏(3)は、蛇を水神とみ、その怪力とたたかわねば農業の発展はなく、のしかかる自然の恐怖を空想の世界で支配しようとする人間の執拗な欲求のあらわれであるとする。
 次に志田諄一氏(4)は、夜刀神を追い払い打ち殺す麻多智や、壬生連麿の姿は、在地個有の伝承ではありえず、この説話は風土記編纂者の思想のあらわれであると述べる。
 一方、吉野裕氏(5)は、夜刀神は産鉄神であり、麻多智は武器製作者集団の伝説的始祖であり、甲鎧を着ける姿は祭儀としての性質を示すという。
 阿部真司氏(6)は、吉野氏の説を受け、産鉄集団が奉ずる蛇神と地主神的蛇とを重ねた神を夜刀神と推定し、壬生連麿の時代には産鉄神として蛇神を祭ることは終り、産鉄神は中央の神に集約されるという。
 その他、著名な説話であるだけに多くの方が論じておられ、各説多様であり、それぞれに聞くべきところのある見解であろう。

(引用:『常陸国風土記』行方郡の二つの説話をめぐって―富永 長三

こちらは、このように有名な解釈の説をいくつか紹介したあと、研究者ご自身の考察も述べていらっしゃり、面白いので、ぜひリンク元もご一読くださればと思います。

また、こちらの早稲田大学リポジトリ」から読める赤塚史氏の論文も、夜刀神伝承から「何が読み取れるのか」「どういった研究が存在するのか」…というのを知るのに大変勉強になりました。

「夜刀の神」を補助線に、日本人の信仰観・世界観を論じる小松和彦先生のご意見

小松和彦氏は、常陸国風土記に残る夜刀の神伝承を受けて、日本人にとっての「神」「霊的存在」「妖怪」観念の違いを考察していました。

ヤマタノオロチは一年に一度、若い女性を生贄に捧げることで鎮まり、それを祀る人々に祝福を与えていた超越的存在である。その意味では「土地の神」であるといっていい存在であるが、「神」とは表現されていない。ところが、これと同様の存在といえる、しかも退治・追放される存在としてみなされているヤツノカミのほうが「神」と表現され、退治した後の残党を「神」に祀り上げているのである。ヤマタノオロチは「妖怪」で、ヤツノカミは「悪い神」なのであろうか。それともヤマタノオロチのほうが「悪い神」であり、ヤツノカミのほうが「妖怪」なのであろうか。

(小松和彦著「妖怪学新考 妖怪からみる日本人の心」2007年p.41)

と、疑問を提示したあと、最終的に次のように整理されています。

このように、マイナス価をもつ超自然的存在=「妖怪」は祀り上げられることを通じてゼロ価の「霊的存在」へ、さらにプラス価の「神」へと転換されるわけである。こうした思想は古代のみでなく、長い時間を経た今日でさえも広く見いだせる思想である、日本人の神観念を考える場合、これを無視してはその本質をなに一つ語ることはできないといってもけっして過言ではないだろう。

(小松和彦著「妖怪学新考 妖怪からみる日本人の心」2007年p.195)

壬生連麿は何者か

現代人が現代の物語の読み方で読もうとすると、やや唐突な印象がぬぐえない壬生連麿みぶのむらじまろ。吉野裕先生によれば、こちらも記紀神話に神々として描かれた人々を祖にたどれる、と考えることができるとか…。

この壬生連というものの祖統をたつねれば天照大神とスサノヲ命とのウケヒの中から生まれた天津日子根命までたどりうるもので、私の考えでは帰化人系産鉄族の流れを汲むものとして整理できるものであった(『姓氏録』)。 それ以上のことは今はわからないが、比較的あたらしい産鉄技術の所有者グループにぞくするものと見ることができようかとおもう。

吉野裕「夜刀の神補稿」口訳風土記別記・六
「天津日子根命」について

天照大御神と須佐之男命とのうけい(誓約)において、須佐之男命によって天照大御神の身につけた珠を物実として生み出され、天照大御神の子となった五柱の男神の第三。天照大御神の縵に巻いた珠を、須佐之男命が受け取り、咀嚼して吐き出した息の霧に成った。

天津日子根命(國學院大學)

「風土記」もしくは「夜刀神」についてのツイート

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