「信濃の民話」で掲載されていた小泉小太郎伝説の舞台や研究・みんなの感想・考察

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「小泉小太郎伝承」の「おはなし」コンテンツは、事情があり現在当ウェブサイトでは取り扱っておりません。コラムだけは公開しております。

小泉小太郎伝説の舞台をマップで辿る旅

ここでは、「信濃の民話」で言及されていた小泉小太郎伝説ゆかりの地をマッピングいたしました。ズームしたり俯瞰で見たりしてお楽しみください。


小泉小太郎伝説の研究や考察

ところで小泉小太郎の話の場合は、上田、小県地方のものと、松本、東筑摩地方のものとが、大きな特色を持って二つに大別できる。
 つまり上田、小県地方のものは独鈷山の寺に夜な夜な通った、大蛇の化身である娘さんが産川上流で赤子を産み落とす。(中略)
 この様に小太郎の産まれ生い立ちについては伝承されているが、大人になってどんな生き方をしたのかは語り伝えられていない。
 一方ここから西南の方に山をいくつも隔てた松本、東筑摩地方にある話は成長した小太郎が母である犀竜とともに岩山を切り開いて、当時湖であった松本平の水を千曲川まで流しだした。そしてこの川が犀川と呼ばれるようになったと言われ、彼は湖の水を流し出すために大活躍をした並ならぬ英雄的人物として伝えられている、しかしこちらでは彼の誕生のドラマも、少年時代の事も語り伝えられていない。

(中略)

1932年(昭7)柳田國男氏は自著「桃太郎の誕生」の中で、この二つの地方の他の話とも比較して、両者の類似する点なども上げもとは一つの話であったろう、と洞察しておられる。

(引用:民話紙芝居『小泉小太郎物語』21世紀の子どもらへの贈り物深町修司

諏訪のあたりには、大蛇や竜にまつわる昔話が多く残されています。どうやら、諏訪神社のご神体も、昔は大蛇であったらしいのです。もともと、諏訪神社の本社を自称する鹿塩では、ごく最近に至るまで、大蛇の霊送りを中心した雨乞い祭りがおこなわれておりました。 松山義雄さんの『山国と神と人』(未来社)の記述によりますと、鹿塩では、夏季旱魃がつづきますと、村人たちは、山中にある大池に集まり、雨ごい祭りをするのがならいだったといいます。この時村人は大池のほとりに野生するスゲを刈りとり、これで長さ三三間もある大きな蛇体をこしらえました。この蛇体を村じゅうの人が曳いて、

ジャン、ジャン
じゃ(蛇)をひけ
ジャン、ジャン

じゃをひけと歌いながら、大池の周辺を三度回りました。これがすむと蛇体をひいて山を下り、塩川にある「明神が滝」の深い深い滝つぼの中へ蛇体を投げこんで、雨ごいの行事を終えるのです。 すると不思議や、さしもに続いた旱天がにわかにくずれ、沛然たる豪雨が村を見舞い、枯れ死「寸前の作物を救ってくれるのがならいでした。その霊験あらたかなことといったら、当の村人さえおそろしさを感じるほどだったということです。

(松居友著「昔話の死と誕生」p.166~167)

みなさまのつぶやき

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